2024年の振り返り

2024年の振り返り

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日常
Published
December 28, 2024
今年も振り返ります。
前回:
 

良い一年だったか?

とても良い一年だった。…そう書く予定だったのだが、年の後半からは仕事においてハードな状況が続き、近年で最も辛い年となった。
近年は毎年ただただ良い一年を過ごせていたので、こういう一年は久しぶりだった。
 
今年も日々のメインは仕事であり、初めての会社経営の中で様々な刺激と大きな飛躍があり、その点はとても良かった。しかし、年の後半は飛躍に伴う多くの失敗があり、近年で一番ストレスフルでハードな時期だった。心が折れ食事が喉を通らなくなることもあり、楽しかったと言えるような半年では全くなかった。
しかし、少しの強がりを言えば、それはリスクをとって挑戦した選択の結果であり、リスクをとらず変わり映えのない日常を送るよりも自分らしい選択であった。そして、良くも悪くもひたすら悩み苦しみ続け様々な経験をしたことで、半年前の自分が別人のように思うほど成長できた感覚がある。それだけの経験を、今の歳になっても得られていることは本当に良いことだと思う。
 
直近も引き続きハードな状況が続いており、来年どうなるかも分からず、なかなか「良かった」とは言えない一年だったが、しかし確かに得られるものも大きかった。そんな一年であった。

一年の振り返り

今年の前半は、いわゆる「よく働き、よく遊ぶ(Work Hard, Play Hard)」な生き方をひたすらにやっていた。
自分の人生において、仕事などの何か集中すべき対象がある時期は、脳がフル回転して他の事柄についても思考が進み、活動的になり、結局趣味や遊びも充実して過ごせる感覚がある。こういう時期は、可処分時間の90%を仕事に費やしているが、残りの時間もフルで使って人生を楽しんでいる。逆にそこまで仕事に集中できていないときは、無意味な時間の使い方をしてしまうことが多い。結果、そこまで仕事に時間を充てていないはずなのに、対して趣味や遊びも充実しない。
毎朝7:00にジムに行き、日中は仕事に集中し、夜は会食やら友人と遊ぶ。前半はこれを平日休日関係なく毎日やって、たまに休みを作って旅行に行くような生活をしていた。自分の人生でもっとも充実していた時期の1つだと思う。
 
3月のライオン11巻 Chapter114より。このコマが思い浮かびがち
3月のライオン11巻 Chapter114より。このコマが思い浮かびがち
 
毎日仕事やジムをひたすらにやり続けるような、客観的に見てストイックな生活を送っていると、他の人からは「すごい」「意志が強い」のようなことを言われることもあるが、自分は意志が弱いからこそ、極端にストイックな生活をしない限り、何も成し遂げられないだけだ。自分から他の人を見ると器用にいろんなことをしながら、休憩したり余暇を楽しんだりというのをしているように見え、むしろ羨ましい。自分は0か1かで常に生きており、「バランス良く」という生き方ができない。(※)
逆に、そういうストイックな生活をすればするほど、自分の人生の質は高まる。そして、それをやろうと思えるだけの高い目標、挑戦があると、自分の人生は充実する。
去年までは「良い歳だし、ワークライフバランスとか考えないとなあ」と冷静になってしまっていたが、この一年はこういう生き方に更に極端に振り切ってみたら上手くいった。ワークライフバランスなんぞという言葉は自分にとっては呪縛だった。そんな一年だった。
※ デジタル人材なので0か1でしかいられないというね(上手いこと言った顔)。
 
そして年の後半に関しては仕事の激化に伴い、仕事のペース配分なんぞ考える余裕も一切なく、土日含め毎日朝から晩までフル稼働するのが当然になった。7月以降は仕事以外に脳内リソースを割く余裕はなかった。それなりに頑張っていた年の前半が、牧歌的な時期だったなあと思う程度にひたすらに仕事をした。
内容もそこそこハードで、ハードシングスと呼べそうな様相であり、気分がそれなりに落ち込むこともあった。
そういう時に「大変」「疲れた」「無理」「(他人への愚痴)」というネガティブな感情を自覚すると更にネガティブになってしまうので、自覚的に自己暗示をかけて、脳内麻薬をキメて、強制的にポジティブになるのをやっていた。
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昔はさほど共感していなかった漫画の描写にも共感するようになった(BLUE GIANT2巻 第13話より)。
 
これに関しても、客観的に見ると「心が強い」「すごい」なんて言われるようなマインドかもしれないが、実際はハードだからこそのスタンスであると思う。社長業はハードかつ逃げる選択肢が存在しないので、こういうメンタルモデルに落ち着いていく。色々あろうと、少し疲れようとも、落ち込もうとも、それでもとにかく自分を信じて前向きに走り続けた方が、むしろ楽なのである
ネガティブな感情に身を任せても、問題が根本解決されない限り状況は改善せず、むしろ時間を浪費した分だけ状況が悪化して更にネガティブになる。「諦めて逃げる」という選択肢があるのであればそれを選択すればいいが、それがない限りは、ただひたすらにポジティブに毎日を積み重ねるのが、結局のところ楽だ。
BLUE GIANT MOMENTUMより
BLUE GIANT MOMENTUMより
 
…が、そんなことを書きつつも、終盤は普通に心折れて、鬱々しい時間を過ごしていた。食事や酒さえ受け付けられなくなるのは人生で初めてだった気がする。前に進むしかないと分かっていながら、前に進む気力が残っていない時は、自己嫌悪も相まって、より辛い。
それでもやはり前へ進むしかないので立ち直って、しかし更に状況が悪化して心折れて、それでもポジティブに進んだ方が楽なので前を向いて、しかしまた状況が変わって辛くなって、しかし、それでも、やっぱり前を向くしかないので前を向いて、…ということを何度も繰り返して、前へ進んできた。
「それでも」という言葉は、今年の自分にとってのマジックワードだったかも。
 
結局、年末の今になってもハードでハイプレッシャーな状況が続いており辛めなのだが、少し前よりは気力を取り戻してきた。
辛くとも前に進むマインドセットが養われた半年だったように思う。この話の更に続きを仕事の章で書く。

仕事

去年末から自分が代表の会社に本腰を入れることを決めて、徐々に自社の稼働量を増やし、人を雇い、夏頃からは自社での社長業の稼働がメインになった。
年始に設定した事業目標をほぼ2倍達成して、客観的に見れば大成功な年だったのではと思う。その内実はと言うと、諸々と本当に大変ではあったが。
 
会社についての真面目な文章は、恐らくここ以外で発表していくので、個人のブログであるここでは、ごく私的なことを書いておこう。
 
社長業とスタンフォード監獄実験
自分自身が社長に向いているとは思っていなかったし、どちらかと言うとNo.2的なポジションが相応しいと考えてきたし、実際そういう立ち振る舞いが多かった。また、もともと会社をやろうと思った理由は各種ありつつも、正直なところ自分が稼ぎたい割合は大きく、いわゆる社長っぽいマインドセットではなかった。
しかし、会社に人と金を集めていくプロセスの中で、会社のビジョンを整理し、他人にビジョンを語り、考えを再整理し、また語るという流れを繰り返していくうちに、自分の幸せについてこだわる気持ちは段々と減り、代わりにビジョンを実現したいという気持ち、すなわち働いてくれる仲間の幸せであったり、社会をよりよくしたいという気持ちが強くなってきた。そして、自分こそがそれを行うべきだという使命感も芽生え、行動的になり、意外と社長っぽいマインドになってきた。
これを客観視すると、いわゆるスタンフォード監獄実験で知られるような「人は与えられた役割に沿った行動をする」という心理プロセスであり、また自分の発言に自分自身が洗脳されていくという仕組みだろう。「こんな未来が作りたいんだ」と心の中に秘めているだけでは大した原動力にはならないが、その気持ちを言葉に出し、具体化し、人に伝えているうちに、だんだんと「本当にできるのではないか」と思っていく。そして「やらなければならない」と感じるようになっていく。
そんな気持ちの変化が自分の中で起きていることを興味深く、そして面白可笑しく思いつつ、これは自己暗示をかけているだけでもあり、世界の幸福ではなく自分自身の幸福も引き続き重要であると思っている。とはいえまあ、理想は自分も仲間も世界も幸せにする未来であり、そのために進んでいきたい。
※ちなみにスタンフォード監獄実験は再現性が疑われているので、あまり適切な例ではない
 
ハードシングスという名の筋トレ、物語思考、辛さのリフレーミング
「ハードだからこそポジティブになる」と前述したが、とはいえ辛いものは辛い。そこそこに心が塞がることも多いし、心が折れて無為な一日を過ごすこともあった。こういう風に経営者は躁鬱を繰り返すんだなあ、なんてどこか他人事のように思ったりする。
しかしそんな中でも、諦めるつもりがないなら、やっぱり前に進むしかない。前に進むしかないなら、今の辛さをどうにかコントロールするしかない。「それでも人生にイエスと言う」しかない。
そんな中で、辛さに対して肯定的になれる考えを捻り出すような思考を何度も試みた。「なぜ今辛いのか」「これをどうやったら解消できるか」「今の辛さを別の解釈はできないか」「なぜこんな辛いことをやるのか」「やる必要はあるのか」「自分は何をしたかったのか」「自分は人生で何をしたいのか」と。
これを毎日毎日と繰り返すことで、各種のメンタルコントロール術が磨かれ、スタンスが磨かれ、思考が深まり、人間として成長していったように思う。すなわち、経営における(そして人生における)ハードな出来事というのは筋トレみたいなものだ。筋トレの最中は辛くはあれど、それを乗り越えるからこそ強くなれるし、何かを達成できるのである。なんなら、辛ければ辛いほど強くなれるので、強くなりたいなら辛さは歓迎すべき対象である。
筋トレの比喩は結構気に入っている。目的もなく、ハードなトレーニングを「やらされている」状態になると本当に辛い。準備も覚悟もやる気もないのにマラソンを走らなければならないのは地獄だ。しかし「自分がやりたいから」やるのであれば、ハードなトレーニングはむしろワクワクする目標にすらなる。やっている間にアドレナリンが出て、むしろ気持ちよくなったりもする。目の前の辛さに対して「自分がやりたかったことだ」と意識を切り替えるテクニックというか、そういうスタンスが大事だ。
 
辛さのリフレーミングの小ネタについてもう一つ。
「幸せな家庭は似ているが、不幸な家庭はそれぞれ異なる理由で不幸である」とはトルストイのアンナカレーニナの有名な書き出しだ。幸福を構成する要素には普遍性があるが、不幸の形は人それぞれだという話だ。そして個人的な好みで言えば、人生はユニークでオリジナルな物語だからこそ面白い。不幸と苦悩こそが意思を生み、魂を生み、そしてそこには物語がある。物語は試練があって、浮き沈みがあるからこそ面白い。平和に終わる冒険譚なんて誰も読まない。
自分が好きな漫画のキャラも、そんな思考をよくしている気がする。いわゆる自己の人生における物語思考。経営における各種の試練…ある意味での不幸を乗り越えていくのは大変ではあるが、それにより面白い物語を描けるのかもしれない。
葬送のフリーレンより。
葬送のフリーレンより。
 
cautiously optimistic - 慎重に、そして楽観的に
辛い状況が続くと気分が塞いでいく。もうダメかもしれないという気持ちになっていく。そういう感情が一定の閾値を超えると、何も手がつけられなくなり、目の前のやるべきことすら何も出来なくなり、更に状況が悪化する。
そんな時に思い出すのは、大学院の研究室で教授が言っていたcautiously optimisticという言葉だ。あれは研究室合宿の夜に麻雀をしていた時のこと、全然ツキが回ってこないし、自分のミスも続くしで全く勝てず、もうどうでもいいやと勝負を投げ出そうとしていた時、教授から「麻雀でも人生でも、運が悪いことが続くことは必ずある。そんな時に、いかに勝負を投げ出さずに最善手を打ち続けられるかが大事。cautiously optimistic、すなわち慎重にやりながらも、楽観的に生きていくスタンスが大事(意訳)」と言われ、それ以来この言葉が強く心に残っている。
自分は悲観的な癖にここぞという時に大雑把な人間でもある。経営者としてやっていくならば、これを変えていかないとなあ。
 
 
世の中の社長は偉い
零細企業の社長を務めてみて、世の中の社長の凄さを感じたりする。
小さい会社の社長というだけでもこれだけ大変なのに、社員数50人、いや500人、いや5000人とかいった会社の規模の社長というのは、どれだけ大変な状況を乗り越えてきたのか。
今までも「ビジネス寄りな思考ができるエンジニア」として仕事をしており、社長の気持ちもわかるつもりだったが、わかるつもりなのと、実際に体験してみるのは大きく違う。今まで出会ってきた社長たちにも改めて尊敬の念を抱くとともに、社長をやってみないと社長の気持ちは分からないという意味で、そりゃ社長同士で仲良くなるよなあ、なんて思ったりする。
 
人に相談すること
そして、今年は色々とハードであり、大変だったのだが、そんな時に一人で塞ぎ込まないで、誰かに相談するというのを意識的にやっていた。人に相談して直接的に解決したり、解決はしないけど心が楽になったりしていて、こういう話を相談できる友人や先輩が周りにいて本当にありがたかった。相談させてもらった方々、本当にありがとうございました。
 

生活

日常
去年の年末より、毎朝7:00にジムに行き、プールに入り、オフィスに出社し、コーヒーを飲んで、日中は仕事に打ち込み、夜は飲み会があろうがなんだろうが毎日23:00には就寝し、7時間半睡眠する、そんな生活を毎日続けている。
このルーティンがすこぶる良く、とても健康的かつ充実した毎日を過ごせている。年の後半はハードな状況ではあったが、睡眠をしっかりとり、軽い運動を続けることが、メンタルの維持に大きく貢献していたように思う。一番キツかった時でも、メンタルは辛いけど身体は好調という少し不思議な状態だったりした。
こうやって文章にしてみると、機械的で非人間的な生活のように見えなくもないが、やってる本人としてはそんな印象は一切ない。毎日が健康的で、楽しく過ごしていた。しかしまあ、やってることがオッサンになったなという気持ちではある。
 
年の終わりからはハードな状況も相まって、食事は毎食COMPで済ます生活を始めた。食事時間を短縮できるだけでなく、食事により集中が途切れないのが良い。また、食事は好きではあるものの、流石に無駄な外食や飲み代をかけすぎな自覚があったところ、そこに時間とお金がかからなくなったのは良いことな気がする。
…と思っていたが、心身が弱っているときにCOMP生活をすると、消化に優しいのは良いが、優しすぎて段々弱っていく気がした。なんというか、食事も一つの「運動」のようなものであり、ハードワークしていると「運動」により時間と体力を使うのが勿体無いと感じてしまうのだが、それをやめると体が(胃が)弱っていくというか。毎食COMPはやめた方が良いかもなあ。
 
引っ越し
そういえば去年末に引っ越ししたのも大きな生活の変化だった。自由が丘から麻布の某高級賃貸に引っ越しして、想像以上に日々の生活が変わった。
文章にすると酷く誤解を生みそうだが、自分は港区での生活が性に合っていそうだ。夜の六本木でチャラつくような生活ではなく、もう少しヘルシーな意味で、港区のモダンでハイセンスで刺激の多い暮らしが気に入っている。日常の95%は仕事なので、基本的には自宅と職場の行き来をするだけの毎日であり、自宅は寝るためだけの部屋であり、寝るための部屋になんでこんな家賃を払っているのかと思うこともなくないが、少し休息したいときにハイセンスな店舗にアクセスしたり、モダンでアーバンで意外に緑が多い周辺環境を散歩したり、そういうことに価値を感じている。また初めて会う人に対して今住んでいる場所が名刺代わりになる感覚もあり(※)、まあこういう体験を全てひっくるめてのこの家賃なんだろうなと思ったりする。
もともとこんな高級賃貸に引っ越した理由は「一度体験してみて、値段分の価値があるかを知りたかったから」だった。その体験に価値をどれだけ感じるかは人それぞれと思いつつ、自分はお金さえあればやっぱりいい場所だなと思うし、その分お金を稼ぎたいなと思った派。
※住んでいる場所について、自分から進んで自慢することはないが、会話の流れで話すことは多い。ネタを提供する気持ちで自分から話したりはしているかも。
 
前に住んでいた自由が丘も良い街だったし、東横線沿線の暮らしっぷりは好きだったが、今の生活からすると「ローカル」で「落ち着いた」暮らしだったという思いが強い。しかし逆にローカルでハイセンスなカフェやバー、レストランに出会えなくなったのは悲しい点である。自由が丘の小洒落たカフェやバーはすごく好きだった。
港区にも好きな店舗はいろいろあるし、洒落っ気でいうと更にレベルが高い高い店舗がたくさんあるのだが、価格帯がなかなかに高いので気軽に入りづらいのと、価格も含めて「ガチ」感が漂う店が多いという印象。気軽に入って少し飲んだだけで会計が1.5万円超えるとビビってしまう。いやまあその分美味しいし、こう言う店を普段使いできる程度に稼ぎたいものなのだが。

旅行

海外はスペイン、中国、イタリアに行った。
 
国内はいろいろ。金沢富山仙台新潟あたりと、あと熱海箱根に定期的に通っていた。
 

以下にまとめた。
 
そして以下を書いた。続きをはやく書きたい。
 

写真

年の後半は忙しすぎて旅行に行く暇もなくなってしまったが、年の前半に相変わらずいろんなところへ行って写真を撮った。
いつまで経っても忙しない日々を過ごしており、1ヶ月前すら遠い過去のように感じる日常だが、こうやって写真を振り返ると、ああ、そういえばこんな一年だった、そう振り返れて良い。
 
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年の後半は出かけることもなくなり、ちゃんと写真を撮ることもなくなってしまった。
iPhoneで撮った日常写真を載せておく。オフィスで毎日見ていた景色。
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自宅。結構お気に入りな雰囲気になってきた。
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来年について

年始からも引き続き(というか更に)ハードな状況が続くので、まず目の前の仕事を片付けるのに精一杯であり、来年一年をどうしていくかはまだ未定だ。仕事の結果次第で、色々と未来が変わりそうなのだが、何がどうなろうとまず少し休憩したいところ。
そこで色んなことをゆっくり考えて、その後のことをどうするかを考えたい。今の気持ちだけでいうと、一旦しばらくはハードワークは懲り懲りな気持ちもありつつ、そんなことを言いながら、結局また会社を大きくする未来のために頑張ってしまうかもしれない。
 
来年こそは、ただただ良い一年になるようにしたい。