12年前のインド旅を振り返る

12年前のインド旅を振り返る

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Published
March 1, 2023

12年前のインド

2011年3月、帰国時の飛行機から撮ったヒマラヤ
2011年3月、帰国時の飛行機から撮ったヒマラヤ
 
12年前の3月、当時大学3年生の自分は、関西空港からデリー行きの便に乗って、単身で1ヶ月のバックパッカー旅をした。
 
なぜ急に12年前を振り返る自分語りポエムを書いているのかというと、それには深い理由があって、実は自分語りポエムが書きたくなったからだ。
理由はともかくとして、ふと思い立ってこんな文章が書きたくなるくらい、12年前のインドでの1ヶ月は刺激的で、未だに色褪せない思い出として自分の中に残っている。 行き先も宿も決めずに、航空券と安いバックパックだけを持って訪れたインドは、「旅行」ではなく、まぎれもない「旅」であったと強く感じるような、そんな日々だった。
 
「インドに行くと人生観が変わる」という言説をよく見る。 自分にとってのインドは、「人生観が変わる」という大きすぎる変化ではなかったが、自分の人生に少なくない影響を与える旅だったのは間違いない。
 
モノの値段が決まっておらず、何を買うにもいちいち交渉しなければいけなかったこと。
道を歩いてるだけで話しかけられて、色々な人と話をしたこと。
厳しいカースト制があり、貧富の差があり、段ボールの家に住んでいる人たちがいたこと。
しかし、貧しい人たちも力強く楽しそうに、そして幸せそうに生きていて、日本の大学生が想像するような貧困はなかったこと。
インド人、アジア人、欧米人と世界各地の人と話をして、さまざまな決定的な違いを感じつつも、それでも全員が同じ人間だということを感じさせられたこと。
色んな経験が、大学生の自分の感性や思考の深いところに刺さった。
 
本当は12年前にも旅行記を書いていたのだが、諸々あって結局表に出すことはなかった。
今回こんな長文を書くのも久しぶりだし、そもそも誰が読むのかという気はしているが、何よりも未来の自分が楽しむために、言葉と写真で記憶を残しておこうと思う。

2011年2月27日、関西空港

初めてインドに行ったのは大学3年の終わりの春休み。人生で2度目の海外旅行だった。 もともとは大学2年生の頃に大学の友人と二人でインド旅行を計画していたが、いざ航空券を予約するという段階になって「やっぱり金がないからやめる」と何とも大学生らしい理由で友人に逃げられ、計画は頓挫していた。 一人でインドに行く勇気のなかった自分は、HISのミステリーツアー(3泊4日ホテル代込み航空券込み1.5万円で海外のどこかに行くという破格のツアー)で初の海外旅行に参加し、海外旅行の童貞を捨てていた。その一年後の春、満を辞して一人でインド旅行に行こうとしていた。
 
1ヶ月の長い旅程のうち、全ての交通手段・宿泊箇所を事前に日本から予約するのは大変で、またそういう旅を望んでいるものでもなく、とにかく現地に降り立てばなんとかなるだろうという考えで、初日の宿だけを日本から予約してインドへと向かうことにした。 出発前に両親に旅行の詳細を聞かれ、「何も決めていない」と答えると、普段温厚な父親にでさえ「お前はナメてんのか?」と強く怒られた。 そういう旅をしたいのだから仕方ないだろうと思いつつ、出発が近づくと自分でも不安を覚え始め、「危険な目にあったらどうしよう」「日本に帰れなくなったりしないか」「自分は馬鹿なことをしてるのでは」という不安がそれなりに大きくなった。
地元の仙台を出て、東京で数日を就活しながら過ごし(当時就活生だった)、東京から深夜バスで関西空港に向かうまでの道のりでも、この種の不安は付き纏った。
 
しかし不思議なもので、空港でチェックインを済ませいよいよ離陸し、もう後戻りできない段階になって、不安を上回る高揚感が急に湧き出てきた。
この現象は今でもよく起きる。旅行の前になると面倒になるが、新幹線や飛行機に乗り込んだ瞬間にいつも急に高揚感が湧いてくる。たぶん、その瞬間から、日常が終わり非日常が始まるからだ。 自分はこの高揚感が好きだ。
 
いよいよ本当に1ヶ月の旅が始まるのだという実感とともに、飛行機の中で仮眠に入った。

2011年2月28日〜@ニューデリー

デリー空港に到着し、無事荷物を手に取った後は、周りの乗客と共に、やや追い立てられるような気持ちで空港ロビーまで進む。
夜の空港のロビーには空港客の送迎のインド人がたくさん並んで各々が叫んでおり、ちょっとした喧騒に溢れていた。彼らが掲げるプラカードを横から順番に眺めていくと、Katsuma from Japanと自分の名前が書かれたプラカードを掲げた40くらいの中年男性を見つけ、予約していたホテルまで車で送ってもらった。
 
初めて訪れる異国の夜の道路を、滑らかに進んでいく車中。不機嫌そうな表情が顔に張り付いたドライバーの男性は、いくつか質問をしてくれた。
それなりに英語に自信があるつもりだった自分だが、話の5割くらいしか理解できない。どうやら明日以降の予定を聞かれているらしく、何も決まっていないことを話すと怒り出した。あまり聞き取れなかったが「お前は本当に大丈夫なのか!?」ということを言われた気がする。
恐らく本当に心配してあれこれと質問をしてくれたと後になって思うが、その時の気持ちとしては、強い訛りのインド英語で、語気荒く聞き取れない言葉であれこれと怒鳴ってくるインド人中年男性は、大学三年生の自分には恐ろしく、すっかりインドが怖くなってしまった。
 
到着したホテルは、日本の感覚で言えば「コンクリート剥き出しで、増改築を繰り返して迷路のようになった、ギリギリ住めるレベルのオンボロ5階建アパート」という代物だった。
蛍光灯が白く照らすボロボロのコンクリートの壁、古臭いブラウン管テレビから聞き慣れないヒンディー語を大きな音量でホテル内に垂れ流すホテルスタッフ、汚くはないが清潔でもない部屋、ぬるま湯しかでないシャワールーム。
正直、少し泣きそうなくらい、寂しさと不安で一杯になりながら、初日の眠りについた。
 

 
翌朝、初めてのインドの朝。
昨晩のインド人ドライバーに「俺が旅行案内所に連れて行ってやるからホテルで待ってろ!」と言われていたのだが、実は先約があった。大学三年でいったインターンシップの同期の友達がデリー大学に留学しており、その友達を紹介してもらっていたのだ。
会うのはこれが初めて。連絡手段はメールのみ。やかましいインド人ドライバーと、留学中の優しい日本人大学生だったら、どちらを優先すべきかは明らかだった。インド人ドライバーに多少の罪悪感を感じつつも、待ち合わせ場所へと向かった。
 
結論から言うと、彼に会えて本当によかった。
気さくで優しい大学生の彼は、インドで生きていくためのABCを教えてくれた。例えば水の値段の相場とか、値切り方とか(驚くことに、インドではモノの値段が決まっていないことが多い)、タクシーであるトゥクトゥクの止め方とか。
彼から教えてもらわずとも、なんとかしていたとは思うが、2日目に彼に教えてもらったからこそ、この後の一ヶ月間自信を持って諸々をやっていくことができた。そして何より、早速折れかけていた心を立て直せた。
 
1日かけて色んなことを教えてもらったり観光をしたり、二番目の安宿を一緒に探してもらったりした後に、夕飯を食べて彼とお別れした。
 
2日目。1日目はチュートリアルのような趣だったので、この日からが本当にインド一人旅の始まり。昨日教えてもらったことを振り返りながら、デリー市内を歩くことにした。
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…とここまで書いて、こんなペースだと一生書き終わらないことに気づく。以降は面白かったことだけピックアップしていく。

インドの長距離列車

インドの4日目、ジャイプル行きの長距離列車に乗るためデリー駅へ向かう。
デリー駅はかなり広く、自分のチケットのどこに乗り場が書いてあるのか分からなかった。駅を歩いていた車掌らしきインド人に「このチケットのホームはどれだ?」と聞くと、自信満々に「今いるこのホームで合っている。ここで待ってろ」と言われたので待つ。
出発時間に近づき、なかなか列車が来ないなと思っていると、英語のアナウンスで隣の隣のホームから列車が出る旨が流れた。全力で走ってギリギリ間に合う。さっきの自信満々の答えはなんだったのか…??
これに限らず、インド人は本当に嘘が多い。聞くところによると、どうやら嘘ではなく「知らないことを知らないというのはマナー違反」「知らなくても何かしら答えなければいけない」というマナーらしい。なんという傍迷惑なマナーなのか。
これ以降、インド人に質問するときは最低5人に質問することに決めた。
 
初めての異国の地の長距離列車。確か6時間ほど乗っていた気がする。日本で言うところの新幹線的な立ち位置の列車だが、速度はそんなに早くない。
日本でも列車の車窓から見る景色が好きなのだが、異国の地で見る景色はまた良かった。流れて行く景色に、その場所の風土とか文化とかを感じるからだろう。集落や畑、林やら何もない広野やらをぼーっと眺めて時間を過ごす。
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途中、何駅かを通り過ぎて気づいたが、到着のアナウンスのようなものはないらしい。駅に到着すると無音で数分停まって、そしてまたゆっくりと動き出すだけ。
目的地に着いたのかどうかも正直判別できなかったため、近くのインド人に声をかけて、この駅に止まったら教えてくれと頼む。信頼できるインド人かどうかは分からないが、保険をかけておくだけマシだ。
それをきっかけにインド人と雑談をしたり、チャイ売りの男がけたたましい声量で「チャーイ!! チャイチャイチャイチャイチャイチャイチャーイ!!」と叫びながら隣を歩いて行ったり。そんなことをしながら、無事次の目的地のジャイプルに到着した。
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インドの子供達@ジャイプル

デリーを出て、ジャイプルにつく。
インド西方地域はなぜか色で例えられる街が多く、ジャイプルが「ピンクシティ」、この後いくジョードプルが「ブルーシティ」、西方地域で最後に行くジャイサルメールは「ゴールドシティ」と呼ばれている。どことなくポケモンっぽい。
そしてどの街も中央部にどでかい城が残っているのが印象的だ。
ジャイプルのアンペール城
ジャイプルのアンペール城
 
インドの街を歩いていると頻繁に声をかけられる。大人も多いが、特に子供からもよく声をかけられる。そのうち9割は「money please」という言葉で、要するに物乞いだ。物乞いは基本的に相手にしないと思っていたが、100円あげるだけでも彼らにとってはそれなりの大金であり、しつこくせがまれた時に「100円あげるだけで喜んでくれるのに、それを躊躇する理由はなんだろうか…?」と悩んでしまうことも多かった。
結局、最終的には写真を撮らせてもらう対価として10円〜100円程度のお金をあげることが多かった。また、それをきっかけに仲良くなってよく写真を撮らせてもらった。それが正しいことだったのか、そもそも正しさとは何か、未だによく分からないが、でもそれをきっかけに彼らと楽しい時間を過ごせたことだけは確かだと思う。
 
20円のペンを売りつけてきた仲のいい兄妹。使ってみたら5秒で壊れた。
20円のペンを売りつけてきた仲のいい兄妹。使ってみたら5秒で壊れた。
 
兄に書いてもらった現地の言葉。意味は推してしるべし(下ネタ)
兄に書いてもらった現地の言葉。意味は推してしるべし(下ネタ)
 
段ボールで生活する家族の子供。インドの子どもたちは、目の力が強く感じた。
段ボールで生活する家族の子供。インドの子どもたちは、目の力が強く感じた。
子供たちは元気で楽しそうにしていて、日本で想像していた頭の中の貧困の像とは少し違った。
子供たちは元気で楽しそうにしていて、日本で想像していた頭の中の貧困の像とは少し違った。
 
カメラをぶらさげて歩いていたら「撮ってー!!!」って言いながら集まってきた子供達@ジョードプル
カメラをぶらさげて歩いていたら「撮ってー!!!」って言いながら集まってきた子供達@ジョードプル
 
列車が3時間遅れたが、その場の子供や大人たちと写真を撮って仲良くなった。
列車が3時間遅れたが、その場の子供や大人たちと写真を撮って仲良くなった。
 
インド人は写真撮られるのが大好きで、一眼レフをぶらさげて町を歩いていると「俺を撮ってくれ!」って感じでしばしば呼び止められた。一度は突然目の前にバイクが止まって、何事かと思ってちょっと警戒してたら、「この子を撮ってくれ」と言われてお腹辺りに抱きかかえられた3歳くらいの子供を撮ったりしたこともあった。
言葉は簡単な英語しか通じなかったが、カメラがコミニュケーションの手段の1つになるなと感じさせられた旅だった。

日本人と韓国人とインド人で酒を飲む@ジョードプル

ピンクシティ・ジャイプルを出て、お次はブルーシティ・ジョードプルへ。 この町でも色々あったが、印象的だったのは宿であった4人。
 
道ゆく旅人に聞き込みをしながら選んだ宿には、日本人男性一人と韓国人女性二人が泊まっていた。なんとなく仲良くなって、じゃあ夜に飲もうかとホテルのレストラン(インドのホテルは屋上がレストランになっていることが多い)に集まり、呼んでもないインド人オーナーもやってきて、計5人で一晩飲み明かした。
韓国人女性たちは少し日本語が話せたのもあり、英語や日本語や韓国語やヒンディー語をそれぞれお互い教え合ったりしながらいろんなことを話した。韓国人たちはなぜか韓国海苔とソジュ(今風に言えばチャミスル)をインドにも持ち込んでおり、インドビールとチャミスルを混ぜて魔改造したカクテルをみんなで飲んで酔っ払っていた。ここで教えてもらった韓国語はいまだに覚えている。
人懐っこすぎるインド人オーナーと仲良くなった日本人。
人懐っこすぎるインド人オーナーと仲良くなった日本人。
 
仲良くなったメンバーで二日酔い明けの朝に(自分を除く)
仲良くなったメンバーで二日酔い明けの朝に(自分を除く)
 
ホテルの屋上から城を撮影。いや、お前は呼んでないんだが
ホテルの屋上から城を撮影。いや、お前は呼んでないんだが
 
インドでの旅は「次の街へ移動」→「駅周辺で良い宿の口コミを聞いて探索」→「チェックインして観光」→「道中で誰かと仲良くなる」→「一緒に飲む」→「翌日一緒に行動」→「翌日解散してお互いの移動先へ」→「以下同」を繰り返す日々で、こういう出会いがたくさんあって本当に楽しかった。
 

ぼったくりキャメルサファリ@ジャイサルメール

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青の街ジョードプルを出発して、次に向かうは黄金の街ジャイサルメール。
メインイベントはキャメルサファリ。ラクダに乗って近くの砂漠を旅するツアーで有名な街だ。
しかしこのキャメルサファリはぼったくり詐欺でも有名なツアーだ。通常日本円で4000円程度が相場なところ、その2-3倍でふっかけられるという話が後を経たない。地球の歩き方や各種ブログを読んでこの事を知っていた自分は、絶対に騙されないぞという意気込みでジャイサルメールに向かった。
 
夜行列車が早朝のジャイサルメールに到着し、改札の外に出るとすかさずインド人のキャッチが声をかけてくる。
「キャメルサファリか?うちは12000円からだ!どうだ?」
思わず「進研ゼミでやったやつだ!」と言いそうになる。早速ぼったくりツアーだ。
無視して歩いて街まで行こうとすると、キャッチの男はしつこく引き下がってきた。
「いやまてまて。これは詐欺とかじゃない。うちのツアーは本当に良いツアーだからこの値段なんだ。街の中心部まで車で送ってやるから、一旦うちのホテルで話をしないか?」
見知らぬインド人の車に乗るのは避けていたが、まあ他の外国人観光客も乗るようだったので車に乗って送ってもらうことにする。
 
ホテルで話を聞いてると、どうやら本当に良いツアーであるらしい。他所のツアーは近所のなんちゃって砂漠にいくだけだが、このツアーはしっかり遠くの砂漠で、かつ豪華な美味しい料理を出してくれるとのこと。そして話を聞いてあげていると、なんと12000円から8000円まで値引きしてくれた。
とはいえそれでも相場よりは高い。どうしたものかなと思っていると、最後にインド人オーナーは言った。
「お前の他に日本人女子大生が4人来るぞ」
その場で即金を払い、明日のツアーに備えてその日は早めに寝た。
 
さてツアーの内容はというと、まあとても楽しかった。
ツアーの参加メンバーはフランス人カップルと、スペイン人ドライバー3人と、スウェーデンの老夫婦と日本人の自分というヨーロッパ人から成るメンバー(日本人女子大生はいなかった。は?)。
ラクダに乗るという経験も、見渡す限りの砂漠をただただひたすら移動するというのも、夜に皆で火を囲んで色んな話をするのも、砂漠の夕焼け、星空、朝日を見るのも、どれも新鮮でとても良かった。
ひたすらにラクダに乗って移動する。
ひたすらにラクダに乗って移動する。
2日間お世話になったラクダ。デカい。
2日間お世話になったラクダ。デカい。
キャンプファイアー。フランス人カップルにフランス語を教えてもらった
キャンプファイアー。フランス人カップルにフランス語を教えてもらった
砂漠の朝焼け。
砂漠の朝焼け。
 
さて、楽しかったのはいいのだが、まあ食事はそんなでもないし、女子大生もいないしで「やっぱり騙されたな〜まあ楽しかったし良いか」くらいの気持ちで帰路につく。
しかし帰路の車の中、あれだけ仲良くなった旅のメンバーが一言も言葉を発さない。自分に対しては、執拗に「君は腕時計を見ててくれ」と言ってくる。どうしたんだ…?と思っていると、ホテルに到着した瞬間に機敏にメンバーが動き出す。
「私はKatsumaに腕時計を見ててもらったが、この車は40分しか走っていない」
「俺は距離計をずっと見ていたが、50kmしか走っていない。もっと遠くの砂漠に行く契約だったはずだ」
「飯はもっと豪華なものがでると言っていたはずだ!これは詐欺だ!オーナーを呼べ!!!」
…とまあ、温厚だった欧米人たちが急に怒鳴り始めた。どうやら彼らも詐欺だという認識だったらしい。自分が寝ていた間に打ち合わせていたのだろうか。
 
自分はちょっと駅までデリー行きの切符を買いに行かねばならず、ことの顛末を見守る前にその場を離れる。
ホテルまで帰ってくるとインド人オーナーが、やや腫れた頬を見せながら話しかけてきた。
「やあKatsuma。ツアーは楽しかったかい?」
その時点では何も気にせず和やかに談笑したのだが、翌日偶然街中でスウェーデン人老夫婦と再会して顛末を聞くと、どうやらスペイン人達がインド人を羽交い締めにし、フランス人が殴り、最終的に金を返してもらったらしい。欧米人がなかなか怖いが、何事もなかったように振る舞っていたインド人もすごい。すぐさまホテルに帰ってインド人に怒鳴り込み、自分も金を返してもらった。
 
そしてその日の夜。ホテルの屋上レストランで一人で酒を飲んでると、近くにいた韓国人の女性二人と仲良くなった。彼女達が明日キャメルサファリに行くというので値段を聞くと、やはりぼったくり価格のようだった。それは騙されてるよ…と言おうとした瞬間、どこからともなくインド人オーナーがやってくる。
「楽しそうだね!なんの話をしているんだい?」
本当に懲りないやつだなこいつは…。そう思いながら、彼に伝わらないように日本語で「こいつに騙されてるから気をつけてね」と伝えた。インド人、逞しすぎる。
 

その他の思い出

ここには書ききれないくらい、毎日毎日たくさんのことがあった。
屋台で安くて美味いカレーを見つけるのが毎日楽しかったり。
映画館で映画を見たら間違ってヒンディー語字幕の上映で4時間かかったり。
結婚式に誘われて行ってみたら警備員に追いかけられたり。
現地の校長先生と仲良くなって、小学校の先生役をやったり。
ホーリーというスプラトゥーンみたいな色水をかけあう祭りに参加したり。
 
未だに30日間どこで何をしていたか全て覚えているくらい濃い毎日だったのだが、全部書いていると時間が足りなくなりそう。もう1記事だけ書いて終わります。